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 Fighting Doctor

〜 私は格闘医師『リングドクターへの道』  〜


皆様はじめまして。中山健児@格闘医師です。 縁あって、このたび拳心館のホームページに格闘医師のページを持たせて 頂くことになりました。
少しでも格闘技を志す方々のためにお役に立てれば これに勝る喜びはございません。


はじめに
 重いパンチ、強烈なキックの応酬、まばゆいばかりの照明、 沸き上がる歓声と拍手、吹き出す鮮血・・
 リングに上がりガーゼで押さえながら傷口を覗き込むドクター。一言二言、選手と言葉を交わし、くびを振る。湧き起こる観客の歓声と悲鳴と罵声に雑じって試合終了のゴングが鳴り響く・・
 格闘技 ファンなら時々見掛ける風景でしょう。 私がリングドクターとしてK−1をはじめとする各種格闘技 団体に関わりを持ってからもう10年がたちました。

子供の頃
 梅田の街頭TVで父親に肩車してもらいながら力道山の勇姿 に胸を躍らせた時から、私の格闘技好きは始まりました。
 今上天皇陛下の御成婚の時に我が家に届いた白黒テレビ では、プロレス番組は欠かさず見ていましたし、その後も、相撲、キックボクシング、プロ空手など、あらゆるジャンルの格闘技を夢中になってみていました。
 小学校2年から、近くの警察署の道場で柔道を始めました。 中学・高校に進んでからも柔道部に入部して熱心に稽古したものです。ちなみに学校までの通学時間は片道1時間半。 帰り道には必ず東京スポーツ紙のプロレス記事を熟読し、豊登が、アントニオ猪木が、ジャイアント馬場が・・・・・と、その熱戦結果に一喜一憂していました。

大学時代
 小学校時代から続けていた柔道を筑波大学入学後も続け たいと思っていた私は、さっそく名門・柔道部に入れてもらい何度か道場に足を運びました。しかし我々医学専門学群の カリキュラムは選択の余地がなく朝から夕方5時まで毎日 ぎっしりと講義が詰まっており、講義が終わって5時半過ぎに 私が道場に掛けつける頃にはもう基礎練習は全て終わり、最後の乱取り稽古に入っています。
 たくさんの部員が道場の周りにひしめき、太鼓の合図で 中央のレギュラーの選手達に向かって突進します。うまく 目当ての相手にたどり着けるのは3回に1回程度。(その後全日本柔道大会の常連として活躍した松井選手に稽古 を付けてもらったのが今も貴重な思い出として心に残って います。)これでは練習にもならないとあきらめて、その後別に同好会を募り、夜の7時過ぎから仲間で練習したもの です。

私が整形外科医になった理由
 もともと子供好きの私は大学6年の1学期まで、小児科医 になるつもりでした。
 ところが、進路決定の直前、最後の柔道 の大会で、中量級のベスト8まで進みました。その準々々決勝、内股で一本勝ちしたのですが、相手を私の足の上に落としてしまい、激痛のために立ち上がれず、 準々決勝は不戦敗。生まれて初めての骨折でした。
 大学に 戻って整形外科の助教授の診察を受け、ギブス固定して もらい松葉杖を貸してもらいました。するとどうでしょう。それ まで激痛のために這っていたのが、痛くもなくスイスイ動ける ではありませんか。根が単純な私は、即座に整形外科医を 目指そうと決断したのでした。
 もしもあのとき骨折していなかったら、私は整形外科医には ならなかったし、リングドクターにもなっていなかったでしょう。 格闘技好きの一小児科医として、田舎でプロレスや格闘技を テレビで観戦していたことでしょう。本当に運命ってわからない ものです。

格闘技との出会い
 卒業後の研修病院として、当時筑波大学の1期生が活躍していた東京警察病院の整形外科に入局することができました。
 東京警察病院に勤めたのも「運命」でした。格闘技の”メッカ” 後楽園ホール、武道館や講道館にも近い。だから暇さえあれば 後楽園ホールに足を運びプロレス・キックの試合を観戦したし、夜間、講道館へ行って柔道も続けました。しかも東京警察病院 には、昔から格闘技を含めたスポーツ選手が多く来院します。
 シュートボクシングの創始者、シーザー武志氏と出会い、親交を 深め、同団体のリングドクターを頼まれるようになりました。リングサイド席よりももっと近くで試合がみられることが、とても嬉し かったものでした。そこから私のリングドクター歴が始まった訳 です。それが1988年ですから、かれこれリングドクター歴は10年 になります。
 その後第2次UWFやK−1を初めとして空手、キック、 プロレス、柔術、総合格闘技、ヴァーリ・テュードなどさまざまな ジャンルの団体から大会医師の依頼が集まるようになり、現在 プロ・アマ合せて9つの団体の大会医師を担当しています。 一昨年一年間でプロ・アマ合せて39の興行の大会医師を勤め、 のべ807の試合を、昨年は32の大会で700を超える試合を リングサイドで見守った計算になります。

格闘技界の医療の現状
 私が現在関わっているのは、格闘技の中でも比較的マイナー なジャンルです。しかしプロレスだけ見ても定期的に興行をうって いる主催団体は男子では10を超え、女子でも7団体が乱立し、しのぎを削っています。キック・ボクシングに至っては離合・集散 を繰り返し、現在8つの団体がひしめいており、それぞれに各 クラスのチャンピオンが認定されている状況です。当然の事 ながら各団体の台所事情は厳しく、特にバブルがはじけてから スポンサー捜しに誰もが苦労しています。
 そんなわけで選手の安全管理に関してはどうしても手が回ら ず、まだまだお寒い現状なのです。 幸い私の目前ではまだ起こってはいませんが、これまでも 時々選手の死亡事故が起きています。人気ボクサーが、有名女子プロレスラーが、ヴァーリテュード大会でも・・その度にマスコミは騒ぎ立て、私にも取材がきます。これでやっと選手達の健康管理を見直してもらえるかと期待するのですが、喉元過ぎ ればなんとやらで、すぐに何もなかったかのごとく忘れ去られ、状況はほとんど変わらないのです。

リングドクターの仕事
 リングドクターの仕方など、決まりがあるわけではなく、誰も教えてくれませんでした。選手の安全管理がしっかりしている日本ボクシング協会の医事便覧やいろいろな競技のルール ブックを参考に、たくさんの試合を実際に見ながら色々工夫 して今日に至っています。
 リングドクターの仕事は、第一に 選手の健康管理を目的としています。しかしそのためには 費用がかかります。団体にその意識を持ってもらう事から 始めねばなりません。試合前後の健康チェックは言うまでも ありませんが、出血が予想される競技ではB型・C型肝炎 ウィルス検査は勿論HIV検査も義務づけるべきでしょう。 頭部への打撃が許されている競技であれば事前の頭部CT 検査も必要でしょう。
 しかしすべての検査を病院で受ければ 最低でも1万円〜2万円はかかります。検査用具(血圧計、 聴診器、尿検査試薬など)や治療器具(縫合セットや種々の 薬剤、シーネやギブスや包帯など)は団体にすべて揃えろと いっても無理だし無駄だし、今のところ全て私の持ち出しと なっていますが決して安くはありません。また目的は違い ますがスポーツ保険への加入も勧めていかねばなりません。

最後に
 かく言う私も、普段はごくごく普通の町医者です。試合だって 本当はS席あたりでビール片手に大声で応援しながら観ていたい一格闘技ファンなのです。 危険な場面では、「そこで止めてくれ!」 という医師の目と 「そこだ、もう一発いけ!」 というファンの目との葛藤に苦しむ、アンビバレントな存在、それが私たちリングドクターなのです。

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