〜最強の空手を地上に取り戻す空手バカたちの戦い〜
かつて空手は地上最強だった
いつから我々は「地上最強の空手」という言葉に疑いを抱きだしたのだろうか。
かつては、あれほどの輝きを持って、思春期血を熱くした言葉なのに。
四十代以上の男性で「空手バカ一代」「地上最強の空手」「ブルースリー」「真空飛び膝蹴り」などの単語を耳にして、胸をときめかさなかった者はいないだろう。
ある者は空手に、ある者は中国拳法に、ある者はキックボクシングにと選択の幅はあるものの、いずれもパンチとキックこそ強くなる手段であるとの信仰はゆるがない。
それが、いかに社会現象として顕著であったかは、昭和45年以前と以後の特撮ヒーロー物などの必殺技を見てもわかる。それ以前はプロレスのような技か超能力がメインであったのに、「ライダーキック」あたりから、ヒーローは打撃格闘技の達人となった。
どの歴史書にも書かれることはないが、格闘技に対する国民の意識が、これほど激変したことは、かつてなかった大事件である。
そして、その歴史的な国民の意識変革の中心になっていた言葉はまぎれもなく「地上最強の空手という言葉だったと言っていい。
あの時代を生きた者なら、その言葉がどれほどの求心力と輝きを持っていたかを語るまでもないだろう。理想の強者像を具体的に示された若者はある意味で幸せだった。スポ根ブームに象徴されるように、努力をすれば強くなれるという上昇志向が、高度経済成長期の社会の風潮も反映して、疑いようにない思想として形成されていたのだ。
ところが、バブル崩壊や、社会主義体制の崩壊などの既成の価格観がゆらいでいくニュースと前後して、日本の若者たちの単純な上昇志向にもひびが入ってきた。
打撃格闘技最強論が、この頃から崩壊しだしたのも偶然ではない。もちろん格闘技界の流れの中で、顔面ありの空手や、総合格闘技の台頭などが、この流れを促進したのは言うまでもない。
顔面なしの空手で育った選手がキックやK−1などの顔面ありルールでは苦戦する。
また、顔面パンチをマスターしても、総合格闘技のリングでは、ひっくりかえされれば立ち技の人間は何にもできない。
最強は打撃格闘技であり、その中でも一番強いのは、空手であるという信仰は徐々に崩れていた。ひとつの信仰が崩れていくことは、若者にとって大きな痛手だ。
強くなる信念だけではなく、若者の身の回りからは、上昇志向を支えるような価値観は次々と失われていった。この流れは、終戦後の価値転換のように劇的ではないものの、深く、静かに、今の若者たちに浸透していっているだけに始末が悪い。
今、彼らに必要な事は、人からバカと呼ばれても、貫き、守り通す信念そのものではないか。
空手バカたちが歴史を作る
「地上最強の空手」と「空手バカ一代」はセットである。強くなるためには、ひとつの事を信じ続け、やり続け生き方が前提となるのである。
空手はそうやって強くなってきた。当てない空手から、防具空手、顔面以外の直接打撃制の空手、素面にグローブの空手、という具合に、空手とは本来素手で顔面打撃を想定している武術である。ならばここから先の追求は、素手の顔面パンチを認めるルールしかなくなってくるのは当然である。
ここが思想の別れ目である。多くの人は、顔面パンチは怖いから投げや寝技、関節技へと技の幅を広げてしまう。それでも確かに強さの幅は広がるかもしれない。
しかし、立ち技もろくに追求していない人間が、果たしたて投げや寝技などさらに技を広げて追求しきれるものなのか。
ここに多様な価値観の恐ろしさがある。今日の格闘技界混迷と、若い人たちのとまどいが、私にはだぶって見えてしょうがない。
幸い、空手界には、地上最強を信じて、日々の研鑽を積む空手バカたちが生きてる。最初に素手顔面の戦いを試行し、ミャンマーまで素手の戦いに臨んだ慧舟会。目突き、金的蹴り、顔面パンチや投げも認めたアブソリュートルールを開催したFSA拳真館。素手の顔面パンチのカウンターを徹底して磨きぬく無門会。 素手を含むあらゆるルールに挑み続ける理心塾や紫円塾。そして伝続の素手の戦いを伝え続ける上地流など、本大会に顔をそろえた空手団体は、いずれも汚れなき、雄々しい空手バカたちだ。
逃げる口上はいくらでもある。あえて危険な戦いしなくとも、実戦空手の看板は出し続けることはできる。しかし、誰かが、この戦いの扉を開かなくては、実戦空手の地上最強の看板に、人々の尊敬のまなざしが集まることはないだろう。
実戦なくんば尊敬なし。素手に顔面が、本来の空手の戦いならば、その戦を正面から受け入れ、あえて厳しい敵に挑む。その勇気ある戦いに、我々は素直に感動したい。
空手はまだまだ強くなる。
空手バカ達が、最強の空手を地上に取戻すための戦いは、もう始まっている。
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